vaiduryamuscari’s diary

自分用日記

自己管理メモ・幻の処方箋

幻聴が聴こえるという状態で仕事をするとなると、自生思考、身体、幻聴知覚が以下のパターンに分かれる。

 

①自生思考が幻聴と会話

②自生思考が身体の自律の為に使われる

③自生思考が幻聴と会話、かつ自生思考と身体は現実の作業にもスペックを割く

 

幻聴と会話する効用は、幻聴によるストレスを無理に溜め込まず、受け流す事、幻聴を鎮火させる事にある。

なので、自生思考はなるべく幻聴に静まりたまえとお願いしつつ、隙をみて現実の作業を考えたり、幻聴にお願いして、現実の作業を考える時間を頂く。

 

③は最終手段で、幻聴がどうにもならない時には幻聴と会話しつつ、身体は現実の作業をこなす。自生思考を二重に使うため、とても疲れるので注意が必要。

なるべく、幻聴と会話しているときはボーとこなせる作業を行う。

自生思考が現実の作業や組み立て方やアイデアを考えるときは、なるべく早く速く、静かに考える。

 

以上、メモ。

時間と空間と独り言

なぜこの世界に時間と空間があるのだろうか?

時間さえなければ、空間さえなければ、こんなに世界の物語に引き裂かれることも無かっただろうに。

 

どんなに想像しても、時間と空間は無関心に変化を重ねる。ならばこの現実に身体を馴染ませ、事あるごとに、冒頭の問いを考えなければならない。人が何かに意味を見出す限り問いは続く。

本能だけでは生きられない人間の業だ。

 

しかし、そうであるならば、善人がこの身体の有用性に気づいたならば、この世界をより良くしたいと考えるであろう。異なる次元の時間と空間が干渉する狭間のこの世界で、この世界を、人間の為により良くしなければと使命を見出す。

 

続く疑問は、どうしたらこの世界をより良く出来るのかということになる。

ただ、人間界の総体の努力しかないであろう。1人の人間が導き手として、人間界の総体を大きく左右する者として現れることも歴史、物語では既に記録として、今の土台としてあった。

小説の中の泥棒がこの世界にハリケーンを起こすこともあった…

 

そうして向かう先には、最後の疑問が残る。

私にはこの世界の為に何ができるのか?

縁(えにし)あった人たちから縁のない人々まで、世のために何ができるのか。

個人の微視的環境、個人の世界を縁のある世界と捉える。手の届く世界の人たちがより多くの幸せを時間と空間の狭間の世界で果たして何回見つけられるのであろう。そして何回絶望が訪れるのだろう。

 

時間と空間の狭間の世界において、建築によって、この世界の中に記録を作る。

 

個人的な話になるが、縁を繋いでいった物語として、私は今、保育所を比較的に多く手掛けるアトリエ事務所で、試用期間として働いている。

人の為、施主、建築の技術、施工者を考え、その思考の果てを、丁寧に速く一枚の絵や模型に顕す事が、この事務所、社会での私の務めとなっている。それと同時に冒頭の疑問を自らの問いとして自己研鑽を重ねていく。

 

それぞれの私にできることの結論を言えば、努力だけ、であった。

私個人の努力する先は、

保育所とは現代の多くの建物ではいかなるものであろうか。そしてどうあるべきか。

子どもの振る舞いをより良くする。要するに、未来を託せる若者へと成長する為の礎となる空間とはなんなのだろうか。

同様に私はどのような場所でどのように育ったのかという事が良くも悪くも問題となる。

それらの疑問からそれぞれ浮かぶ空間を現実に現れる衣とみなした時の目に見えない大事なものが背後に感じれるか。

 

背後のウロの世界から、この現実の世界に建築するならば、個々人が、その背後の見えない世界を構築する必要がある。

 

私の構築した世界はわたしの思い込みで崩れてバラバラとなってしまった。

これら一つ一つの葉っぱのようなものを拾い集めて、繋いでゆき、組み替え、根を張り、幹を太くし伸ばし、枝を張る。

しかし、誰しも皆、程度の差があるだけで同じだろう。

 

個人の生命力、野生、本能、思考、幾何学、物の歴史、人の物語、

どれを取っても永遠と続いていく。

時間と空間の有限性の中で、努力する。

明日にでも滅ぶかもしれない。この後、何百何千年と続くかもしれない。

そして、私も明日に死ぬかもしれない。ヨーダのように600年生きるかもしれない。

 

死によってこの世界から去るまで、私は努力を続けようと思うよ。

しばらく本能に身を委ねよう。

私は自分の未来について、私自身に賭けてみる事にした。

 

 

仏のツラした鬼の心の内

‪本日昼間脳死状態だた。‬
‪死にながら生きたくない、常々思う。‬
‪人生が芸術だと父は言う。‬

 

‪作品を通してしか、自分を語れない社会。それがいい。‬
‪自分の信じる事しか作品に込められない。
‪作品からどんな共同幻想を伝えられるか。‬
‪また、その説明、共同責任を果たせるか。‬

説明だけで選べない現実。感じたこと、直感で何かが決まる。

 

頭でわかっていた事が、だんだんと腑に落ちるというか、心に染みわたってきた。

私にはきっと1つの強欲がある。誰に気付かれることも望まず、気付かれないことも望まない。ただ、ありのままに世のためになる作品を残したい。

人の為に世の為になると、信じられることは4つある。それぞれ関連があるが、分節した方が説明しやすい。

 

・建物という物体それ自体を発展させることに関しての展望が大きく2つ

・人の物語を汲み取るということ、日常を愛でること

・自然と建築の関係に対して私が知覚してきたこと

 

これから身につけたいことは、上の4つをどう安全に、快適に、作品にできるか。

私が身につけたい事の為に修行します。

 

 

 

襞 第1章 物質の折り目、ジル・ドゥルーズ、独自展開

私と貴方は違うもの。というのがある時までの考え方。

私と貴方は繋がった中にある別な部分じゃないかな。とライプニッツジル・ドゥルーズ

物質も有機体(動くもの)も1つに纏めて、無限に編み込まれた襞として一般化した。

 

私がこの時想像したのは、人や言葉やネットとか。

この論理からいくと、

人間という有機体は、例えば、親は子に編み込みの折り目を時間変化の中でつけて、親の分身を作る。親と子は外的環境がそれぞれ違い、それぞれ違う影響を受けて差が生まれるのかなと。

言葉は、人間と絡み合いながら、時間変化の中で無限に現れ消えていく。音として小鳥や木々に影響を伝え、同じ言葉が解る人同士では、その記号を伝えられる。

ネットは、人が作ったが、ネットでの写真が皆んなに見られれば、その場所に人々が訪れたりして間接的に環境に影響を及ぼしたりするし、言葉を載せれば、見る人に対して影響を及ぼす。

 

1つの断面を見ても無限に編み込まれている襞が、無限の断面を持って、影響を伝え合うような絵を思い浮かべた。

 

ここから少しジル・ドゥルーズの見立てから外れるが、

そうだとすると、伝えているものはなんなのだろうか。

例えば、有機体から発する運動の代償の熱はエネルギーに変換され、運動か外部へと放熱される。この時、熱という影響を伝える。

更にイメージして欲しいのが、石に熱が伝わるのと、空気に伝わるのと違うということ。

襞の編み込みによって、伝わりやすさが異なるのではないだろうか。

影響を伝えている媒介をエネルギーと呼んでみると、各エネルギーは、各襞の断面を移動、横断しつつ、相互影響を及ぼす。襞を伝わっていく媒介は、

1.襞を行ったり来たりする性質を持つ

2.襞の遠くの部分までワープするなんらかの変換を行える

 

ありとあらゆる物質は永久に見えても朽ち果て、状態を変化させることは確かだ。変化するまでの時間軸は異なる。

人が野原で亡くなったなら、たんぱく質が喰われ、カルシウムが長く残る。建築はメンテナンスしなければ自然に喰われ廃墟に、石は風雨にさらされ、細かく削られる。

先程の影響の伝わりやすさや、時間の中での変化率が異なるのではないだろうか。

石や建物や植物やネコやコタツが変化の中で、徐々に姿を変え、貴方が産まれたのではないだろうか。両親もまた同じようにこの編み込みの中に変化の過程で現れた1つの状態だとしたら。

想像することは無限にできる。

 

この世界を無限×無限の編み込みで出来ていると仮定しても、編み込みの糸はそれぞれの主体によって、その時々の解像度やフレーミングによって規定できる。ここでは既に世界を襞ではなく編み込みとしている。

 

個人を主体としても、私を主体としてもあまり使える事はないので、ここでは人の総体、即ち人間社会を主体と仮定して想像を膨らませる。そうすると、人の解像度から普遍的ないくつかの次元が現れる。

森羅万象が現れる物理世界としての時間と空間と媒介物、イマジネーションとしての想像世界の次元(図面や漫画や小説、論の見立ての世界など)。

 

彼ら彼女らは全て編み込まれている。それぞれが細かく無限に編み込みを持つ。分割は人の任意で行われる。

この空間に現れたモノは意味を見出されて初めて世に存在する。そもそも現れ方も異なる。

 

空間の捉え方を変えるようなイマジナティブな、創造力に富むモノを考えたいこの頃。

 

 

 

 

 

 

 

 

未来を創る

少し、私論を、

 

岐路に立つと怖くなる。震える。自分の選択が未来を良くするか、人に迷惑を掛けないか。

未来を選び取るのは正直畏れ多い。

 

未来を選び取る時に、産まれてからこれまでの過去を振り返る。これはあの人の考え方、この言葉はあの時の言葉、この振る舞いは懐かしいな、などと。

 

私は未来を、自分の信じる光の射す方を選び取らないと5年程前に決めていた。その代わり、選びとらない選択をした未来が何を創るのか観てきた。その中で出逢った物語も、きっと大事にして、次に繋がるのだろう。

 

未来を創るとは今、選ぶ事である。過去を踏まえて、今できることの中から、未来を見据えて、決める。後は自分の決めた事に殉ずるのみなのだろう。

 

皆んな未来を創る。その為に諸々の事を考え、選ぶ。改めて、新しく広がった幾多もの中からとりわけ輝く光の射す方向に。

私もその中の一人としてささやかながら全体の流れを決めていく。

 

ただいまと1人言う。おかえりと聴いた気がした。

26年の振り返りと来年度の抱負

自分の人生、他人の人生を傍観、観察しておりました。その結果、情報が膨れ上がり、分裂し、まとまり、いろんな物語を表から感じるようになりました。

その中でも自分にとって大事な、信じるべき真実を選び取り、受け継ぐと決めました。

今後は自分の存在を示していきます。

先ずは資格から。

外の世界へ向けての手始め日記

こんばんは。建築学生です。
今年の初夢は星が誕生するのを宇宙からみる夢でした。最後に爆発に吹っ飛ばされて起きるという…

前置きはこの辺で、皆さんは歴史上の人間の始まり、すなわち、旧人と新人の区別が何であるかご存知でしょうか?

文字もまだなかった時代に起こったある物語なのですが、実は、旧人がそれまで使っていた石器が石器本来の目的、狩をする為の合理的なカタチから離れ、鋭利にしなくていいところを鋭利にしております。美しさの為に石器を作る時期と分析されているのです。更に、美しい石器は何のために作られたかというと、当時の人間関係の為なのではないかと推測されております。
詳しくは、古代創成期という本を読んでください。分かりやすいです。

人間の根っこには人同士の関係を築く為に石器に代弁させた美しさがある。
まだ文字もなかった頃ですから、自分を他の人と区別する手段だったのかもしれません。


美しさという点が人同士を結びつけるのならば、それは、とても嬉しい反面、悲しいものです。現代は目に見えるモノに溢れている。何かを所持することで人同士の関係は築けないのかもしれません。

私論ですが、現代は物語に根ざしているのではないかと思います。それぞれ自分でしかない物語がありますよね。
どこでもいける。でも、それを選ぶのは自分次第。その時問われるのは、果たして自分の選んだ事は美しいのでしょうかということではないでしょうか。

今、私は修士製作で潰れていく木造密集地帯を敷地に、その土地の為に、提案を行なっております。
建築法規や相続の為に売られてしまい、土地が平坦になり、何処かで見たような景色に変わっていく。
修士製作は提案で建築されないから、きっと私の我が儘な願いなのですが、その場所に住む人々が、入れ替わって建て替わって、色々な変遷を経ても、その場所がその場所であり続けるということになって欲しいです。
その為の方法は土地から生まれるしかないのではないかと考えております。
貴方には愛着のある場所がまだ残っていますか。
私は建物というモノで愛着を受け継ぎたいと考えております。