読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

vaiduryamuscari’s diary

自分用日記

未来を創る

少し、私論を、

 

岐路に立つと怖くなる。震える。自分の選択が未来を良くするか、人に迷惑を掛けないか。

未来を選び取るのは正直畏れ多い。

 

未来を選び取る時に、産まれてからこれまでの過去を振り返る。これはあの人の考え方、この言葉はあの時の言葉、この振る舞いは懐かしいな、などと。

 

私は未来を、自分の信じる光の射す方を選び取らないと5年程前に決めていた。その代わり、選びとらない選択をした未来が何を創るのか観てきた。その中で出逢った物語も、きっと大事にして、次に繋がるのだろう。

 

未来を創るとは今、選ぶ事である。過去を踏まえて、今できることの中から、未来を見据えて、決める。後は自分の決めた事に殉ずるのみなのだろう。

 

皆んな未来を創る。その為に諸々の事を考え、選ぶ。改めて、新しく広がった幾多もの中からとりわけ輝く光の射す方向に。

私もその中の一人としてささやかながら全体の流れを決めていく。

 

ただいまと1人言う。おかえりと聴いた気がした。

26年の振り返りと来年度の抱負

自分の人生、他人の人生を傍観、観察しておりました。その結果、情報が膨れ上がり、分裂し、まとまり、いろんな物語を表から感じるようになりました。

その中でも自分にとって大事な、信じるべき真実を選び取り、受け継ぐと決めました。

今後は自分の存在を示していきます。

先ずは資格から。

外の世界へ向けての手始め日記

こんばんは。建築学生です。
今年の初夢は星が誕生するのを宇宙からみる夢でした。最後に爆発に吹っ飛ばされて起きるという…

前置きはこの辺で、皆さんは歴史上の人間の始まり、すなわち、旧人と新人の区別が何であるかご存知でしょうか?

文字もまだなかった時代に起こったある物語なのですが、実は、旧人がそれまで使っていた石器が石器本来の目的、狩をする為の合理的なカタチから離れ、鋭利にしなくていいところを鋭利にしております。美しさの為に石器を作る時期と分析されているのです。更に、美しい石器は何のために作られたかというと、当時の人間関係の為なのではないかと推測されております。
詳しくは、古代創成期という本を読んでください。分かりやすいです。

人間の根っこには人同士の関係を築く為に石器に代弁させた美しさがある。
まだ文字もなかった頃ですから、自分を他の人と区別する手段だったのかもしれません。


美しさという点が人同士を結びつけるのならば、それは、とても嬉しい反面、悲しいものです。現代は目に見えるモノに溢れている。何かを所持することで人同士の関係は築けないのかもしれません。

私論ですが、現代は物語に根ざしているのではないかと思います。それぞれ自分でしかない物語がありますよね。
どこでもいける。でも、それを選ぶのは自分次第。その時問われるのは、果たして自分の選んだ事は美しいのでしょうかということではないでしょうか。

今、私は修士製作で潰れていく木造密集地帯を敷地に、その土地の為に、提案を行なっております。
建築法規や相続の為に売られてしまい、土地が平坦になり、何処かで見たような景色に変わっていく。
修士製作は提案で建築されないから、きっと私の我が儘な願いなのですが、その場所に住む人々が、入れ替わって建て替わって、色々な変遷を経ても、その場所がその場所であり続けるということになって欲しいです。
その為の方法は土地から生まれるしかないのではないかと考えております。
貴方には愛着のある場所がまだ残っていますか。
私は建物というモノで愛着を受け継ぎたいと考えております。

風呂に浸り、哲学巨人を想い分析す。

デカルトはこう言いました。

もしかしたら貴方が考えたり思うことと私が考えたり思うことって違うかもしれないよね。

だけどさ、私が何かを感じたり思ったりすることは私には確かなことなんだよ。

私の感覚には貴方には認められないこともあるし、共通することもあるね。だから、共通して話せる方法を探そうよ。

 

ここまでがデカルト

ここからが現在の分析。

感覚的に受け入れられないと、デカルトの共通の話し方を用いたり、統計や大衆を使って2項対立の優位性を作る人が多数存在する。

先ずは嫌な感覚があってからの論理である。

良いイメージの感覚があってから、共通の〜(以下略)も多数存在する。

 

第三者は、

・それじゃダメじゃない?

と抜けようとする。自分の感覚や絶対的神の存在ではなく、論理的に自分を除く話をしようとする。

・要するに、自分が納得したいのだ。

ここを実践すると次第に、自分の感覚が細かく分析され、分析した分、個別のバラバラになり得る。もちろん、なり得ないかもしれない。自分の感情を分析していくと更に進んでいける。と同時に分析する経験が少なくなっていくので、日常の経験を欲し出す。欲せども欲せども即座に分析されるようになる。ここで感覚が死に絶えると同時に、次に論理が死に向かう。

・納得し続けて来たけど、いや、待てよ、感覚って大事じゃないか?

実は無いもの強請りである。ここの間にループが存在する。

ここのループを抜けるには次に人という存在から抜け出す。猫と哲学する人が、猫と猫のように関係を結び出し始め得る。でもこれは擬態である。

何処まで行ってもこの身体と心と身につけた術からは逃れられないと感じ得る。もちろん感じ得ないかもしれない。

 

よく言われる心技体は素直になるための訓練かもしれない。

 

 

 

感想/ダリ展からマルク・シャガールを想う

ダリ展に行ってきたのでその感想をまとめて、ブログに置いておこうと思う。

 

ダリ展の好きな作品はモダニズム期以降の作品であった。

モダニズム期以前は模索中というか修行しているというか葛藤がありありと出てきて、あまりすっきりしないと感じた。私も修行するのだが…

 

先ず、ダリ展の感想をまとめると、

・絵画の中に意味を重ね合わせて何か連想させ得る

・意味の変換、歪み、ズレを与えている

・形を変えた意味の連鎖によって世界を形作る

・新たな世界の創出より現在の世界の解釈を変える

 

話は変わるが、私はマルク・シャガールが好きである。何故か分からなかったが、今回のダリ展がそのことを相対化させてくれた。

マルク・シャガールは、個人的な解釈であるが、ごくごく個人的な感情に居場所を与えてくれるのである。私の存在をも認めてくれるような気がするのである。自分にしか分からない暗号を絵画に見出すようにやり取りができる感じがする。

 

ダリ展は先ず最初に全の中の一つとして新たな世界を感じてしまう。圧倒的カリスマ性を認めざるを得ない感情を抱いてしまった。理性的というか、社会的というか…

素晴らしいことに対等な人間関係を築いている。

 

しかし、私という人は、その人にしか通じない、密かな、でもとても楽しい会話が、やっぱり好きなのである。

 

 

 

酔った勢いで滑らかに日記を書いてみる

我思うゆえに我あり。

全ての論理はここから始まった。

 

論理を論理っぽくなく酔った勢いで書いてみます。

 

ジェフリー・バワのベントタビーチホテルってなんか快適なんだけど外のまんまなんだよね。なんでだろう。

スリランカにあるんだけど、年間通して凄く暑い地域で、なのにリゾート地として快適なんだけど。

 

思い返してみると、ホテルへのアプローチから日差しはなくって、そのままレセプション、個室まで屋根がある。

レセプションは大きく海に風が通り抜けられるようになってるんだけど、恐らく色んな大勢の人が集まるからなんだろな。

外気のままレセプションを済ませて、外気のまま個室に荷物を置きにいく。ここの通路もどちらか片側と上空に風抜けができていたな。

個室は、比較的少人数だから窓の大きさも抜けもあまり必要ではないんだろな。

でも入口と向かいの窓に風抜けができるようになっている。入口からは絶対中が見えないけど、風は通り抜けられるような幅にはなってる。

食堂は必要に応じて掃き出し窓を開けて外に出たり、あけたまま中でバイキングできたりする。長時間会話が弾む時は外へ出れるし、短時間なら内に居てもいいな。

海に面していて、海と逆の方向とも大きな風抜けができるな。

 

帰結、

スリランカは暑い!

だから風が必要。

だが風抜けの適量さが設計のしどころ。

 

以上。酔ってて記憶違いでしたらすいません。

 

 

外を省みること、内を省みること

今日はメリットを共有する同研究室の知人?仲間?とのカウンセリング?教え?を通して、私はタイトルのことを考えた。

 

簡単にまとめると、私はある時から人の考え方の共通項を外れて、それでいいと感じていた。しかし、外れていることを意識していない時間が度々あり、外れている事に無意識になっている。無意識な時間が長くなり、一般的な説明が出来ない状態である。

 

先ず、一般的な説明が出来るようになることを目指す。

治療方?戻り方?の最近の具体的な例として、オープンデスクでお世話になった事務所の話をする。

 

私はパースで何か材料の色彩を選ぶ時、ビビットな建築的にどぎつい色を選んでしまう。これで最初にパースを描く事を取り上げられてしまった。最終日に建築の模型のテクスチャーを貼る作業をテクスチャーの色の所員さんやボスの指示を受けながらテクスチャーを作り、かつ貼った。

一枚目のテクスチャーは貼るのに合格するテクスチャーを作成するのに2時間かかる。所員さんの指示とボスの指示を受けた。

二枚目のテクスチャーは1時間かかる。ボスの指示を受け、所員さんのやり方を教わる。

3枚目のテクスチャーは30分で所員さんの指示、やり方を教わる。

4枚目のテクスチャーは20分弱でボスのテクスチャーの指定と色合いの変更を1度ずつ受ける。

 

このテクスチャーを模型に貼り、それを自分でよく観る事によって、それまでの私の色彩感覚が異常である事が相対的に理解できた。

 

私は、この共通感覚を流れと呼んでいる。

今の時代は、彼岸であり、私がいる所は此岸である。思えば、いろんな此岸にいたように思うが、どれも共通感覚としての彼岸とは他の人と相対的に離れ過ぎていたのではないだろうか。

 

具体的に出来ることとして、例えば、建築のCADの操作などは決まった操作の組み合わせがあり、スケールは実物を参照して作ることが可能である。

色彩は上述した通りである。

模型を作る時には、呼吸の仕方から入って、自分の状態の起伏をなるべく抑えて、雑さを消す事を意識すると綺麗になる。

 

これからやることとして、

人との距離感のつかみ方を経験しようと考えた。これには気になる異性を口説くのが効果的とのご指摘がある。

自分の事やアイディアを一般的に説明可能とするために、確かな、合理的な事を積み上げるという論理性を意識する。

 

ここまで私が書いたことは一般的に理解可能であっただろうか?

内を省み、外を省みる事を繰り返そう。

昨日の内省であった。

 

以上。