vaiduryamuscari’s diary

自分用日記

外を省みること、内を省みること

今日はメリットを共有する同研究室の知人?仲間?とのカウンセリング?教え?を通して、私はタイトルのことを考えた。

 

簡単にまとめると、私はある時から人の考え方の共通項を外れて、それでいいと感じていた。しかし、外れていることを意識していない時間が度々あり、外れている事に無意識になっている。無意識な時間が長くなり、一般的な説明が出来ない状態である。

 

先ず、一般的な説明が出来るようになることを目指す。

治療方?戻り方?の最近の具体的な例として、オープンデスクでお世話になった事務所の話をする。

 

私はパースで何か材料の色彩を選ぶ時、ビビットな建築的にどぎつい色を選んでしまう。これで最初にパースを描く事を取り上げられてしまった。最終日に建築の模型のテクスチャーを貼る作業をテクスチャーの色の所員さんやボスの指示を受けながらテクスチャーを作り、かつ貼った。

一枚目のテクスチャーは貼るのに合格するテクスチャーを作成するのに2時間かかる。所員さんの指示とボスの指示を受けた。

二枚目のテクスチャーは1時間かかる。ボスの指示を受け、所員さんのやり方を教わる。

3枚目のテクスチャーは30分で所員さんの指示、やり方を教わる。

4枚目のテクスチャーは20分弱でボスのテクスチャーの指定と色合いの変更を1度ずつ受ける。

 

このテクスチャーを模型に貼り、それを自分でよく観る事によって、それまでの私の色彩感覚が異常である事が相対的に理解できた。

 

私は、この共通感覚を流れと呼んでいる。

今の時代は、彼岸であり、私がいる所は此岸である。思えば、いろんな此岸にいたように思うが、どれも共通感覚としての彼岸とは他の人と相対的に離れ過ぎていたのではないだろうか。

 

具体的に出来ることとして、例えば、建築のCADの操作などは決まった操作の組み合わせがあり、スケールは実物を参照して作ることが可能である。

色彩は上述した通りである。

模型を作る時には、呼吸の仕方から入って、自分の状態の起伏をなるべく抑えて、雑さを消す事を意識すると綺麗になる。

 

これからやることとして、

人との距離感のつかみ方を経験しようと考えた。これには気になる異性を口説くのが効果的とのご指摘がある。

自分の事やアイディアを一般的に説明可能とするために、確かな、合理的な事を積み上げるという論理性を意識する。

 

ここまで私が書いたことは一般的に理解可能であっただろうか?

内を省み、外を省みる事を繰り返そう。

昨日の内省であった。

 

以上。

自由と責任と主体性

具体的に分かり易い文章はターゲットごとに支持を集めるが、私は誰かの何かを連想させる抽象的な言葉を使ってきた。

本当に分かっているの?

皆んな疑問に思うのでしょう囧rz

結局何が言いたいの?

結論は自分で出そう(*^o^*)

 

夕沈み 電車の騒めき 振動す 私もあなたも 振動す

 

かの戦術史家の諸葛亮孔明はこう語っている。

肉まん大好きー!!!

素直になれないのは損だな〜

 

最近私は素直になることと主体性を考える。

 

自分で動く、素直に動く、もっと早く動く。もっと丁寧に仕事をこなす。空気のように気配を消す。

それはより自由で縦横無尽ではないか。責任を伴いながら、より自由な事は実は主体性がなければならないのではないか?

主体性とはなんぞや、責任は?自由って?

 

3つが絡み合いながら、自分の中で成長していく言葉となった経緯を経て、汝に問う。

 

貴方が考える自由ってなんですか?

 

 

 

 

哲学者の語る建築 マルティン・ハイデガー

今日は黒川紀章建築都市設計事務所の設計の図書館へ。

 

哲学者の語る建築という本のハイデガーの言葉を読む。

「詩人のように人間は住まう」

後期ヘルダーソンの詩歌の一文を引用してハイデガーは論を立て始める。…

 

「ひとつは、われわれが実存とよんでいるものを、住まうことの本質から考えることである。もうひとつは、詩を詠うことの本質を住まわせることとして考えること、それもたぶん住まうこととして建てることと考えること、である。もしわれわれが今いったこの観点から詩を詠うことの本質を考えれば、われわれは住まうことの本質に到達することになる。」…

 

このあと、論はどのような帰結を得たのだろうか。

 

詩を詠うことの本質を、地上の尺度を受け取る行為となるとの帰結を得る。

 

詩を詠うという行為が、この世の万物の存在を、その都度、測る、という行為となるとしている。

 

別な国の詩という別な言語なのに、日本のあはれという言葉を、同じ本質をつなぐことにより、これほどまで深く考察した文を、私の拙い読書を通してだが、今まで見受けられない。

 

 

秋桜

自分の生活の全てを愛でたい。

 

生前から脈々と続いて、私は生を授かった。

私は、私の全てである、ありとあらゆる感情や経験をその時々に抱いて今まできている。私の生の過去がある。

 

現在と過去の全てが一致するその時、私の居場所が見つかり、己の生活は言葉を超えた詩になる。

 

 

言葉を使うのは、きっと、言葉の意味を知り、超えようとするからなのではないだろうか。

 

人生は芸術だ。言葉はあまり必要でない。言葉以外の詩があまりにも人生には多かった。ある言葉による抽象は、抽象の時点で余りにも多くの意味を失って、それ以外の意味を帯びる。

 

芸術である人間が、自らを結晶化したモノもまた芸術になるという出来事に救われる。

言葉を介さないでも人は繋がれる証明となる。

果たして私は私を結晶化できるのか?

学びと実践と統合は続く。

 

日記を見返して分析すると、私の文章は私の叫びを現していた。文章を書くことや日常での経験を通して、徐々にだが、叫びは、中原中也の云う所の歌となっている。

 

きっと他人には歌が聴きやすいだろうし、私も今や歌が聴きたい。

 

もろともに あはれと思え 山桜 花も昔の 香ぞにほいける

もろともに あはれと思え 秋桜 背にも腹にも 香ぞにほいける

 

返歌は長く掛かってもいいじゃないか。

 

 

日々の生活の詩

和而して同ぜず。母校の校訓は孟子から来ていて、きっと、思想と呼ばれるモノはあまりにも広い経験というコトが、、、

 

酷いコト、優しいコト、楽しいコト、辛いコト、嬉しいコト、悲しいコト、有り得ない神がかったコト、食べるコト、寝るコト、起きるコト、小鳥が泣くコト、猫が無視するコト、、、

 

広い経験というコトがモノになって、、、

壁画というモノ、リンゴというモノ、建築というモノ、水というモノ、小鳥というモノ、猫というモノ、人というモノ、骨というモノ、薬というモノ、、、

 

産まれたモノに、またコトが生じ、、、

 

コトがモノを規定し、モノがコトを産み、、、

 

陰陽が、その為に、、、

光粒子がエネルギーを運び、、、

ブラックホールがエネルギーの差の辻褄合わせを、、、

人がモノゴトに意味を投影し、削りながら真理を探り、、、

 

母は死に際に私の手を握った。

父は人の一生という人生が芸術だという。

 

モノがコトを、コトがモノを産む。

 

正義であったモダニズムが現代の均質空間を作り悪に見え、人はまた違うモノゴトを考え出す。

 

建築という行為をし、そのモノが群となる、この世界に住まうというコトは、この世界を愛するという覚悟なのかもしれない。

 

私は人の幸不幸は決められず、それでもより豊かな世界を永遠に目指す過程の一端に、居場所を構えられたら幸せだ。

 

覚悟という言葉の意味に気付き始めた帰りの電車の中だった。

 

 

 

 

パース描いてたら現場行くの巻

複合型集合住宅現場メモ

 

コンクリートかぶり厚さ30

地下ふかし20

計50mm

 

cセパレート、配筋、せん断力補強の斜め配筋、リブ、溶接部分、梁配筋上げてスリーブを通して配筋下ろす。型枠工事の大工の準備が着工一月前、スラブ凹の部分に設備とスリーブ、1日でコンクリート上歩ける、外壁汚さない内側傾斜のベランダ手摺と内側のドレン菅、サッシ溶接部分埋め込み、各住戸内に設備を納めるスラブ上の設備、コンクリートスラブのコテならし、コンクリート内電気用スリーブ?、、、

基礎、配筋ある程度、型枠足場の順番

 

パース描くメモ

納まりと見え方と構造の順列、言い換えると、守るべきことの余白のデザイン。

足場はBT足場だった。

 

莫大な知の結晶のエネルギーを感じる。

これ修士製作でやるのかー、、、

 

 

 

それぞれの孤独と対価としての武器の創造

人はそれぞれの孤独を抱えた分、武器を創るのではないか。

 

私の所属する研究室ではある者は哲学と幾何学の知識を、またある者は神学と絵筆の技術を併せ持っている。

 

なら私の武器は?

タバコ仲間との会話により発露した。だから私は孤独について考える。

松田家のルールの分析能力と頭の良さ、西村家のモノゴトへの感受性と筋の通し方を足しあわせ、私が1番実現したい事は2つの錬金である。

法律と天文学と薬学を武器として洗練しよう。

 

本質と思われていたコトは変わってしまった。しかし、変わる中にもっと核心に迫る本質があるのではないか。

 

ウィトルウィウス建築書より学ぶ。