vaiduryamuscari’s diary

自分用日記

これから働く学生が考えること

風、光、霧、家具、猫、サイバー空間などという動的なコト(客観的出来事、主体的行為)やモノ(物、者)によって建築という一見静的な物体は様相を変える。逆に辿れば、建築は動的なモノやコトを想定し、ここでしかないバランスだと考える物体を構築する。それはモノとコトを包含する為の物体の結晶と取れる。

そうした時に、根を深く張るように考察したり批評するためには、バランスという考えを深く考えてみたい。

バランスとはなんだろうか。

キャンパスの中で2つの対象(濃密度の物体)を描く時に我々は、大きさ(余白)、色彩、解像度などという釣り合いを考える。ここにしかないという釣り合いが取れる時に我々は美しいと感じるし、釣り合いによって込める思いの強弱が出現する。

センスとは、釣り合いが我々に与える影響の大きさや意味の確からしさを的確に捉え的確に表現することになる。

釣り合いという言葉を聞くとブルーノ・タウトのプロポーションを連想するが、現代においては、あるまとまりを持った物体の構成のスケール感というだけでは捉えきれない、動的なモノを含んだより多義的な言葉として定義しなければと考えている。

敷地という3Dキャンバスの中に物体を描く時、想像してなかったモノを描けば、そのまま根幹を成す。発想する事ができる一部の超天才を除いて、歴史で既に表現されている物体の持つ関係や意味を再解釈する関係を持つ空間を描くことがアイディアとなった。

新たな解釈で定義された関係に物体を充がう。

建築は過去を踏まえ、現在から未来に向かって構築していくコト(客観的出来事、主体的行為)であるのは様々な人が述べている。

ここまでが現代だとすると、我々学生が働き出す時、経済が縮小するオリンピック後は、よりアイディアとバランスを洗練していくことが求められるだろう。

例えるなら、日本の古来の伝統木造建築が、木という素材を体系化してプロポーションを踏まえ、様々な動的なモノを含めてその当時の未来→現在まで残るという奇跡を起こしている。大工は日本の木に夢を見ていたのかもしれないと思わせる質量を感じる。

建築学生という居場所で社会が移り変わっているという不安定さを感じている過渡期において、未来に自分がどういう建築物でモノを活かし、社会の仕組み、コトをより豊かにするかを考えなければならない。

単に未来を構築する為に唯物論を唱えているわけではない。

物体がモノを包み込むならば、モノが起こすコトまで踏み込まなければならない。

経験論、理性論、それらを統合する新たなバランスを創出するコト、建築行為が必要である。

さらに直感でまとめながら推し進める。

現代の建築学生の卒業製作などは、

・批評、問題発見を行う。

・新たな解釈、見方、定義を与える。

・3Dで表現する。

である。

だが、アートや広告などのメディアは、さらに踏み込んで、

・表現したモノが世界を構成している。

・表出した世界が、現実世界になく、人間の本質を捉えている。

というあり得るであろうパラレルな世界を創造している。

現実世界から現在にないイマジナリーな世界へと橋渡しを行う。

新たな未来を、豊かかもしれないと信じて自分の想像を投影していく覚悟と、持てない自信を持つ為に限界までバランスを試行錯誤し、自分の深淵を覗かなければならない。