vaiduryamuscari’s diary

自分用日記

言葉の真実2

自分の言葉は自分が今まで経験していることが顕著に出ることが判明した。意識的に顕著に書いても相対的に控えめに書いても。

今まで見知った言葉や知識、更にそれと関係する言葉を書いているのだ。

自分が選ぶ言葉には全て、文字通り全て意味がある。

私が選んだ言葉も、貴方が選んだ言葉も、それぞれ自分の鏡となって現れる。

どこまで意味を見つけ出せるのか。

考え出すと私も貴方も、我々はどこまでが自分なのか分からなくなる。

そう、私が過去に選んだ言葉にも全て居場所はあったのだ。

記憶の中のものと現実で共有した者と未来を共有するものと居場所は常にある。

希望は気づけばそこに見いだせる。

そして人はどこかでつながっているに違いない。

それを経験した。

私の探求はまだまだ続く。

ここである命題を立ててみる。 ブログを読み、私の頭の中を言葉を介してその言葉の範囲で経験を共有する出来事が増えていき、連想できるコトが個人の脳の臨界点以上になった時、人はその人と道を分かつか、共有するのか。 謎である。 しかし、共有する時、連想できないにも関わらず共有する感覚を覚えたらそれは共感覚の一種ではなかろうか。 人が人とかなり近似して繋がるのではないだろうか。