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vaiduryamuscari’s diary

自分用日記

偏見分析1

自己が自己をどう捉えるかということと他者が自己をどう捉えるかということは違うものだ。

自己の中で勝手に自己認知が進む現象を妄想というらしい。誰しも妄想はある。

私の自己認知が客観と妄想の間を揺れ動いているが、ある時ふと思いもよらないメタ認知が起こる事もある。

私の自己認知について

ある時から出会った物事の数だけ自分には人格ができていると思い始めた。

推量するに他人はその出来事をバラバラに存在させない自己の吸収する何かがあるのではないか。系統立てる何かと言っても良いかもしれない。

自分に話を戻す。schizoは逃亡者ではなく、究極のシチュエーショ二ストの事かもしれない。

相対的にかなり効率の悪い吸収する何かを元に、膨大に増えゆく自己の経験をまとめきれないのは酷であると同時に分が悪い。

多数の物事の経験は感覚的に認めたい。それ以上の力でまとめきる経験が必要ではないか。

まとめきれることはないが、膨大にまとまってしまうことは経験としてある。

その瞬間をこれから私は何度か経験すべきだろう。

感覚的には、

こんな認知の話などミンチにでもしてしまえ!

である。

しかし、この認知の話は建築に役立つ。

建築は通常、モヤモヤとしたイメージを具象物の関係性に込める。

全体的な統一感が存在する関係性を自分の中にあるイメージを元に掴み取る作業だと考えている。アトリエはその先進である。

しかし、それで良いのだろうかという疑問が私の中で尽きない。

アトリエの建築物の効果や要素は

・建築物単体のキャラクターがはっきりする

・新しい見方を示す(新しい豊かだと考える事が具現化する)

・現代の危うい所を可視化し、解決する

・近代化の中でモデルにハマらない箇所を調整する

などである。

生きていくには作品を作らないといけないが、私はどうせ拾った命なので、好きに使うとして、私の作りたいモノを考えてそれを実践していきたい。

・部分のイメージから全体を作れる感じ

・安上がりである

・批評性がある新しい生活を作ってしまうのではなく、今ある生活を少しずつ更新していく感じ

・モノの価値を認めさせるように作る

建築の醍醐味の空間が、設備構造法律お金などとその余白との釣り合いで作られるのは歴史の中で繰り返されているが、なんか変わりそうだなぁと感じる。

このイメージはまだモヤモヤしていて掴めなくて、掴みたくてもがいているのだが、中々上手くない。

とりあえず、やる事を少なくして物作りを深くやっていこうと思う今日この頃。