vaiduryamuscari’s diary

自分用日記

妥当分析1

世の中、お金、時間、芸術に分けられると考えた。

お金は世の中の対象物に対する相対的価値の基準となる。

お金がかかるものは、時間がかかる。手間がかかる。

新幹線は時間短縮という付加価値を高めている一方、交通の便という点で電車やバスほど価値は高くない。その分を特急料金として私たちはお金を出す。

土地は、これまでの価値を踏まえて未来へのポテンシャルで価格が決まる。

建物は、設計士、職人という一握りしか時間内で作れない。

建築は、建築家が何か今と別な付加価値を建物に付けて時間内で設計しているのかな。

コンビニの弁当と比べて、食材の育て方やその素材に合った調理法を選べる料理人は他人から認められた分、高い価格で料理を提供できる。

大多数の他人から認められる事がお金による価値を付けられることでもある。

柏崎にとあるイタリアンレストランがある。

そこは、柏崎の素材を目利きで料理人が選んで、調理を施したとても美味しいレストランであるが、都内の5分の1以下の値段である。そもそもそんな素材が都内で手に入らない。

柏崎にとある茶室と庭園がある。茶会体験のみでしか入館料を和菓子分しか取らない。

器の価値は値段が付かない物もあるらしい。

柏崎にその価値を認める人が少ない、価値は人によって様々だし。

誰の為にどんな建物を私は設計したいのかなぁ。

生き続けることを考えなければならないけど、私は誰かを殺すようなモノは作りたくないなぁ。

生かせるかというとよくわからないし、そんな設計傲慢すぎる気がしてきた。高望みして設計してたのかもしれない。

親父は人様の迷惑にならないように生活しなさいと言ったなぁ。

ひたすら迷惑をかけないように生きて、それを仕事にも現そう。

都内から見たら柏崎?柏崎の人から見ても茶室?

人知れず忘れられている。侘しい。美しい。

そして大学生という者が1番贅沢であった。膨大な時間と様々な芸術という付加価値へのアクセスの自由があるにも関わらず、それをないがしろにしているという…

親父迷惑かけ続けでごめんよ〜

修士製作って何なのかぼんやり分かった今である。

物作りに一生懸命に動かない私は誰の為にどんな建築を提案できるのだろうか。いやできない。

頭使いながら動くことをここに宣言する。

養生期間として、私の空間の体験をした縁のある建築について、設計者がどのように考え設計したか、図面トレース、模型製作をし、全体像から細部まで追っていく。谷村美術館、casa de tea、愉快な家、青森県立美術館、bawa house 33rd lane

設計期間として、具体的対象者と敷地を決め、自身のプロセスを記録しながら、設計する。