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vaiduryamuscari’s diary

自分用日記

オスとメスの両義性

おはようございます。朝早くから日記失礼!

今日も複雑な人間関係が繰り広げられます。
人間は人でありながら、オスとメスの2種類に別れております。
オスの役割とメスの役割とが歴史の中で培われて、そのイメージもまだまだ根強く残っている現代。

私は、オスとメスの前に人としてありたいと考えておりますが、法律では貴方は人の中のオスですよという事を認めて置きながら、社会はオスとしての役割を強く求める事に今更ながら気が付きました。でもその流れには抗います。直感が言っている。私はオスの前に人ですよと。

ただ、私はオスとしても、人としても、他人を魅了するという事を意識してこなかった。
それが如実に今までの建築のプレゼンボードに現れている。
建築が好きで、面白い面も創った事があるのに、それを面白く魅せてこなかった。
魅了するという事は人にとっては他人に影響を与えるある意味、オス的な行為であると思います。カリスマ性とも取れるかもしれない。傲慢とも取れる。逆に人のメスというと、母の像から思い浮かべる事があります。具体的には、私が幻聴で苦しんでいた事以上に母は私を護ろうと苦しんでいたように思う。それだけが母の全てではないが、母には包括する事を望むような一面があった。
私は私の傲慢さから母を苦しめていた事を無意識に認めていた。傲慢さを消す事がせめてもの罪滅ぼしだと行動できるよう体質を変えていた。それがオスから見た今の虚のような私のイメージに繋がるだろう。

人として人を魅了するとはどのような事なのだろうか。
チープな言葉で表せば、ただひたすら自分の人の像を追い求める事なのかもしれない。
和而して同ぜず。
私という人がいてもいいではないか。また最近自分を享受した。
今後は人に惚れられる人を目指す。
私は人間でありたい。