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vaiduryamuscari’s diary

自分用日記

建築へ

何かを信じたり疑ったりする拠り所としての主体的な自分ができた。

恐らく、崩れることはもうない。

という訳で建築家を志す為に今後は社会にコミットした建築論を考えたい。

 

今やっていることは、

1.材料選びをしながら法律を満たす矩計図作成と材料リストとパース

2.ポートフォリオ

3.cinematicarchitecturetokyoのワークショップ

4.コンペを随時

5.引越しの準備をちょくちょく

6.日常生活全般で無駄の見直し、費用対効果を得ること

 

スペック的に今はこれが限界。

家の事を除くと4タスク同時進行が限界っぽい。

 

建築について、

建築家の実践はトップダウンボトムアップの均衡に現代建築は移行している。近代建築がトップダウンとしての先端だとしたら、建築家なしの建築はボトムアップの先端である。しかし、そのどちらも今の社会状況に適していない。

 

建築行為はコトを想定したモノ創りだと考えていたが、モノを創る前と後とでその周辺のコトが変わるのだから、広くいえば設計士の一回性のコトと言える。しかし、使用者が意味を見いだし続ける限り、そのコトは建物が崩れるまで一回性ではなく、何回も経験されるし、建築行為自体が複数人から成り立つのでそれぞれの見方ができる。複数回、複次元の経験に耐えうる建築って、身近な宝探しができるモノではないかなぁ。

 

その一つが現在の建築物からそのディテールの過去の成り立ちを使用者が追えるという設計の方法。トップダウン的である。

もう一つには、建築家と時間をかけて建築物を改良していく方法。

現代の着眼点はその手法である。

 

未来を語るのは狂人だと言われるが、ここでもう一つ。

建築行為全般とは今発見されてない別な次元から建築を志す。

 

例えば、お施主さんが千利休ならばどういう建築になるだろうか。ワクワクする。

ならばお施主さんを千利休に育ててしまえば良い。おこがましいが…

例えば、自作映画を創るとどんな場所でも深い文脈で建築が作れる手法を編み出す。

例えば、建築で島国を創る技術を編み出す。

要するに、発見し発明する力が今後建築には必要なのだろう。フォースを信じるんじゃ!

 

発見はできるが、果たして発明ができるか。

私は建築に目覚めた。