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vaiduryamuscari’s diary

自分用日記

記録としての日記2

個人的な事を書く事自体が描き方によっては浅ましい上に、私という人間の薄さが露見してしまうが、私の成長の過程の記録として書く。

 

収入や支払いという事について個人的な経験を元に書いてみたい。

 

能力の報酬に応じてお金を与えるというのが資本主義の社会と頭で考えていたが、私の経験は少し異なる見解を示し始めた。

お金は与えるものではなく、誰かに預けるものであり、預かるものである。というのが結論だ。

 

大学院1年の当時、私は父から2〜3ヶ月に1度という期間で、一月に平均7〜8万というお金をもらっていた。もらっていたというのが正直な意識である。

バイトをしたり、働いたり、引っ越したり…と紆余曲折を経て、今年度では、おそらく年間で300万円程預かるであろう。私は300万円を任されるに足る人間になったのかもしれない。

思い返せば、大学院1年の当時、お金の価値、使い方や節約の仕方、誘惑される魔力めいた力などについて経験がなく、正直なところ考えもしていなかった。

父の目には息子はお金を預けるに足る人間ではなかったのだろう。

 

具体的に話してみる。

私は9月27日に親戚の家に引っ越す事にした。お世話になっている不動産には既に申告してある。この事を父に相談するのだが、ただ引っ越すために金をくださいというのではお金を貰うだけになる。我が家では「申請書」を作って、みてもらうのが一番早い。

私が書く事はシンプルで、引越しにかかる総費用、今後親戚の家に引っ越す事によってかかる総合的なお金と引越しをしない時のお金の比較など、引っ越す事による様々なメリットデメリットの比較である。

その上で父に物理的にお金を預かるのは可能かどうか考えてもらい、任せていいと思えるお金を預けて頂く。この一連のお金の扱いは必ず必要になる。

自立とは、親がいなくても、家族ができても、私が私としてしっかり生活していく事ができるという事である。人様に迷惑を掛けないという事である。

 

家を建てる仕事を考えてみる。

1000万から1億くらいのお金と人の一生を預かり家を建てる。その意味を探し始める器は出来たように思う。

 

言葉とは不思議なもので、真実に触れようとすればする程、遠退いてしまうように感じながら、ただがむしゃらに追いかけていた。

今後は言葉とは少し距離を置いて、動きます。

 

今年度の終わり頃、日記を再開しようと考えました。何か今の意志以上の力がない限り、そのようにしようとおもっております。

 

では、おやすみなさい。