和而して同ぜず。母校の校訓は孟子から来ていて、きっと、思想と呼ばれるモノはあまりにも広い経験というコトが、、、
酷いコト、優しいコト、楽しいコト、辛いコト、嬉しいコト、悲しいコト、有り得ない神がかったコト、食べるコト、寝るコト、起きるコト、小鳥が泣くコト、猫が無視するコト、、、
広い経験というコトがモノになって、、、
壁画というモノ、リンゴというモノ、建築というモノ、水というモノ、小鳥というモノ、猫というモノ、人というモノ、骨というモノ、薬というモノ、、、
産まれたモノに、またコトが生じ、、、
コトがモノを規定し、モノがコトを産み、、、
陰陽が、その為に、、、
光粒子がエネルギーを運び、、、
ブラックホールがエネルギーの差の辻褄合わせを、、、
人がモノゴトに意味を投影し、削りながら真理を探り、、、
母は死に際に私の手を握った。
父は人の一生という人生が芸術だという。
モノがコトを、コトがモノを産む。
正義であったモダニズムが現代の均質空間を作り悪に見え、人はまた違うモノゴトを考え出す。
建築という行為をし、そのモノが群となる、この世界に住まうというコトは、この世界を愛するという覚悟なのかもしれない。
私は人の幸不幸は決められず、それでもより豊かな世界を永遠に目指す過程の一端に、居場所を構えられたら幸せだ。
覚悟という言葉の意味に気付き始めた帰りの電車の中だった。