vaiduryamuscari’s diary

自分用日記

秋桜

自分の生活の全てを愛でたい。

 

生前から脈々と続いて、私は生を授かった。

私は、私の全てである、ありとあらゆる感情や経験をその時々に抱いて今まできている。私の生の過去がある。

 

現在と過去の全てが一致するその時、私の居場所が見つかり、己の生活は言葉を超えた詩になる。

 

 

言葉を使うのは、きっと、言葉の意味を知り、超えようとするからなのではないだろうか。

 

人生は芸術だ。言葉はあまり必要でない。言葉以外の詩があまりにも人生には多かった。ある言葉による抽象は、抽象の時点で余りにも多くの意味を失って、それ以外の意味を帯びる。

 

芸術である人間が、自らを結晶化したモノもまた芸術になるという出来事に救われる。

言葉を介さないでも人は繋がれる証明となる。

果たして私は私を結晶化できるのか?

学びと実践と統合は続く。

 

日記を見返して分析すると、私の文章は私の叫びを現していた。文章を書くことや日常での経験を通して、徐々にだが、叫びは、中原中也の云う所の歌となっている。

 

きっと他人には歌が聴きやすいだろうし、私も今や歌が聴きたい。

 

もろともに あはれと思え 山桜 花も昔の 香ぞにほいける

もろともに あはれと思え 秋桜 背にも腹にも 香ぞにほいける

 

返歌は長く掛かってもいいじゃないか。